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アサザクリークのトンボ [昆虫]

ぎっくり腰になってから初めて昆虫撮影に行って来ました。
ぎっくり腰といっても、腰の痛みや違和感はあまり無く
痛いのは左足の膝あたり
腰痛体操のおかげで痛みはかなり減少し
かなりの距離を立ち止まることなく歩けるようになりました。

”腰の辺りで神経が圧迫されていて、それが膝の痛みとして感じられる”
というのはとても不都合というか
しっくりしないと言うか
埴谷雄高の言葉を借りれば”自同律の不快”とも
言える状態で

膝が痛くても怪我をしてるわけでもなく
腫れている訳でもない
湿布をしても痛みが和らぐわけでもない
ただただ痛い
腰が痛いのではなく、膝が膝が痛い
そこで
”膝が痛いから腰を抑えよう”
”膝が痛いから伸びをしよう”
とするのが正しいのだけれど、どうしても
収まりが悪い
心の収まりが悪い
どうしても、膝を押さえてしまう
かばってしまう
因果関係のわからない人からすれば
この戸惑いも
行動も
アホにみえる
自分で言ってみても
自分がアホに思えてくる
物心ついて以来
A=Aを論理の大前提として頭に焼付け
それを基に考える習性の人間にとって
それを崩して考えねばならない状況は
ほんまっ めんどくさ~

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アオイトトンボ

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シオカラトンボ

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チョウトンボ

カイバル峠で [西南アジア一人旅]

アフガニスタンには日本人と顔つきがそっくりな民族がいる。
ハザーラ族である。
中には目の色が青い人もいて遺伝学的に驚かされる。
いろんな説があるようだけれど、一般的には13世紀チンギスハーンがアフガニスタンに攻め入ったときの末裔といわれている。
カンダハールからカーブルに向かうバスの中で僕はハザーラ族のグループに出会った。
顔つきがそっくりなので、どちらからとも無く話しかけた。
I'm a Japanease 僕は日本人です
Japaneas are just Monngoriann  日本人は蒙古系で
We are the same  一緒ですね
いぶかしげに彼らは僕を見ていたが
一人が”やおら”ポケットの袋を取り出し
中から草をつまんで僕に食べてみろという仕草をした。
クローバの葉っぱだった。
僕はすぐに口にほり込んだ
青臭い美味しさが口に広がる。
ハザーラの人たちの表情が和らいだ
この葉を食べるのはハザーラだけだそうだ。
これをきっかけに僕たちは仲良くなった。
彼らとは僕が途中下車したカズニで分かれたが
この時はまだ、彼らに命を救われることになるとは思ってもいなかった。

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バスの停留所

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バスは定期的に礼拝のためにストップ
人々は礼拝所や近くの適当な場所にメッカに向かって座り
礼拝をする アラーアクバル!  ラー・アッラー・イッラー・アッラー!

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アーモンドの咲き乱れるカズニ

旅の最終目的地アフガニスタン
3ヶ月の滞在予定が、わずか8日間しかいられなかった。
でも
いろんな出来事が次から次へと起こった。
まだまだアフガニスタンの地に居たかった。
滞在期間の延長申請もかなわず
それどころか宿泊施設にやってきた兵士たちによる
外国人旅行者の強制国外退去の命令
旅行者たちは無理やりバスに乗せられ
カーブルからカイバル峠へ・・・
”急に国際会議が行われることになり
外国人たちが全員国外に退去されることになった。”
という噂が旅行者の間に飛び交った
取り敢えずパキスタンのペシャワールまで退いて
それからどうするか考えよう
混乱の中
バスはカイバル峠へ
バスが着いたのは荒れ果てた山岳地帯だった
はるか離れた山裾を行く駱駝を連れた隊商のような集団が行く
昔から国境地帯を自由に行き来する人たちの集団だ
民族服に身をまとった人たち
まるで何百年も前の世界を見ているような
不思議な気持ちになった

カイバル峠
文明の交差点故の激しい歴史
アーリア人のインドへの侵入
アレキサンダー大王の遠征
・・・・・・・
イギリスの介入
多くの歴史が蠢き
その歴史故の現実が繋がっている
僕は今、現在を生きているのだろうか
体内をいろんな時代が駆け巡り
いろんな想いが駆け巡る

アフガニスタン
荒々しくも美しい自然と
激しい気性の人たち
いろんな民族の人たち
・・・
去りがたい気持ちを抱え
周囲の景色を眺めていると
一人の男がやってきた
”マネーチェンジ!”
闇の両替商だ。
国境のこんな場所に現れるなんて
こんなに多くの人がいるところに・・・
No!
断っても、しつこく迫ってくる。
アフガニスタンの商人の多くはそうだ。
”レートは?
”仕方なく聞くと
法外なレートを提示してきた。
”え~!、You are crazy !"
僕は思わず言ってしまった。
安易にcrazy
と言う言葉を使ったのだが
crazy という言葉に男は反応し
突然、感情を爆発させた
”お前は俺を馬鹿にした!ヨーロッパ人と同じだ!”

僕はそんな気持ちで言ったんではない。
あまりにレートが高かったのでcrazyと言ったけど
馬鹿にして言ったのではない
何度も説明したが、彼はもう聴く耳を持たなかった
crazy
と言う言葉
僕は旅行の中で欧米人が使うのを見聞きしていた。
そこに”素晴らしい”というニュアンスが込められていて
僕も同じように軽い意味で使ったつもりだったが
アフガニスタン人の彼には通じなかった。

もう遅い

”お前は俺を馬鹿にした
あいつ等と同じだ”
同じ言葉を繰り返し
そのたびに興奮は激しくなり
しまいに
腰の短刀を抜き
"kill You !"と叫び
僕に向けて飛び掛ってきた。

”こんなところで、こんなつまらない事で
僕は死んでしまうんか!
”こんなつまらない事で死んでしまうんか!!”

そう思うと激しい怒りが
沸き起こる
相手に向けられたのか、自分自身に向けられたのか
分からない
ただ激しい感情が、心を突き上げる
”ぶっ殺してやる!!”
・・・・
相手の出方を伺った
いろいろシュミレートしながら・・・
・・・・・・・・
どのくらい睨み合ったのか
どのように向かい合ったのか
覚えていない

突然僕の周りを10数名の人たちが取り囲んだ。
バスの中で知り合ったハザーラの連中だ。
男は僕から切り離され
なにか叫んでいる
・・・・
助かったんだ
・・・
こうして
僕は彼らに守られて
国境を越えることが出来たのだった。
別れ際
全員が笑顔で僕の肩を叩いてくれたのが忘れられない。
”有難う”ハザーラの人たち
僕は去りがたい気持ちを残し
恐怖心を
怒りと憎しみの感情を掻き立てることによってしか
抑えることが出来なかった
己の弱さを感じながら
・・・・・
日本人と同じモンゴリアンの人たちとの
絆を感じながら
カイバル峠を下った

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ブルカを来た婦人たち。アフガンでは全身を隠したブルカを着ている女性が多い。

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女性と話していると、銃を向けてきた。
僕が日本人でアフガンの習慣を知らなかったというと
笑って去っていった。

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写真はアフガニスタンの光景
カイバル峠とは関係ありません。

追記 
 カイバル峠ではカメラを取りだすことは出来ませんでした。
パキスタンからインドまで戻り
再度のアフガニスタン訪問の機会を窺がっていましたが、アフガニスタンの人民民主党による突然のクーデターのニュースを新聞で知り訪問を諦めました。
それからアフガンが戦乱の時代を迎えるようになるとは
夢にも想像できませんでした。

村落を行く [西南アジア一人旅]

一人の異邦人が他国の村落を歩く
それがどういう意味を持つのか
勿論,招待された訳ではない。
その異邦人がその国の文化に人に興味と好意を持っていたとしても
人々と仲良くなりたいと思っていても・・・・
勝手に侵略してきた連中によって
蹂躙され略奪され続けた歴史を
背負い続けた人々にとってそれは
警戒の対象でしかない
裏切られ続けた歴史を背負っているのだから

怖いと分かっていても
僕は路地裏や村落の中を一人歩いた
ネパールでもインドでもパキスタンでも
トラブルが起こったときには
助けてくれた人がいた
人の道を故意に犯さない限り
その人たちに敬意を持っている限り
大丈夫だ
”欧米や日本の都会を歩くほうがよほど危険だ”と
自分に言い聞かせて

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アフガニスタンの村落は
外来者にとって
不気味なほど静かである。
人と出会うことはほとんど無い。
でも、人が居ないわけではない。
無視されているわけでもない。
全てが監視されているのだ。

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たまに、野外に出て遊ぶ子供たちの姿を見るが
顔を合わせた途端
家の中に逃げさる。
僕は物足りなさを感じながら
村の外れから引き返すことにした。
しばらく歩いていると突然耳元で”ひゅ~”という音が
投石である
無数の石が
こぶし大の無数の石が
村落の家々から
嵐のように
僕をめがけて飛んでくる、
アフガニスタンでは
このような事が起こるとは聞いていた。
覚悟はしていた。
だが実際にそんな状況になってみると
怖く、ただ怖く
走って逃げよう!と思っうのだけど
一方で、
”なんで逃げんといかんねん”
僕は村の人に悪意なんて持っていない。
当てられれば、勝手にやって来た僕が悪いのだろう
仕方が無い
日本人の意味の無い意地が沸き起こり
とにかく
一発当てられるまでは逃げないと覚悟を決め
道の真ん中をゆっくりと歩いた
投石は続いたが
一発もあたることは無かった。
”手加減してくれているんだ!”
村を抜けたとき
僕は嬉しかった。
逃げ出さなかった僕を認めてくれたように思った・

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カンダハール [西南アジア一人旅]

アフガニスタンへはパキスタンのケッタ(クエッタ)から入国
3ヶ月滞在のつもりが8日間の入国ビザしか取れない。
首都のカーブルで延長の申請をするしかない。
ケッタからバスで国境に着きアフガンの地に着いたが、カンダハール行きの
バスが無い。
どうしようかと付近を観察していると、”カンダハール”という声
そこに行って見るとスズキの軽トラの改造車が待っていた。
乗り合いタクシーだ。
狭い車内に乗り込むとブルカを着た女性と家族?が座っていた。

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敬虔なイスラムの国で女性の写真を撮るのは難しい。
都会の雑踏の中で撮るのはまだ容易だが
地方や村落の中だとトラブルが必ず起こる。
被写体となる女性が怒っている訳ではない。
むしろ他人が居ない場所では
積極的に話しかけてくる、。
でも・・・・人の気配を感じるや否や
豹変し、叫び声をあげたり、泣き出したり
逃げ出したりする。
完全な男社会の因習

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アフガン第2の都カンダハールは多くの人で溢れていた。
無骨で荒々しい人達
女性たちのほとんどがブルカをまとい
男・男・男の世界である。

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食べ物はというと、カバブー(羊の)とヌン(日本ではナンといってるがパキスタンやアフガニスタンではヌンという発音に聞こえた)
そして甘いシロップをかけた野菜サラダ
そしてブドウやメロン 干しブドウ
どれもがめっぽう美味い

アフガニスタンの商人は商人というより
職人気質の人が多い
駆け引きを嫌うし、値切ると怒り出す人も多い。
しまいには”お前に売る位なら”といって
商品を床に叩き付けたりする。

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現在タリバーン支配下の地域では女性の学校教育は否定されているようだが
1978年時点では少女たちは制服を着て少女だけの学校に通い
学校にいけない貧しい家の子達は、写真のような店先ー寺子屋のような場所で
石板をノート代わりにして学んでいた。